ポーランド・ドイツ旅行
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2006/10/06〜2006/10/13
ポーランド:クラクフ歴史地区・アウシュビッツ強制収容所
ドイツ:フランクフルト観光・ニュルブルクリンクサーキット

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●クラクフ駅構内1 new!
自由に入れるようになってますので、構内を通って駅の反対側へ渡ります。
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●クラクフ構内2 new!
反対側。
結構大きな駅です。この辺りの交通の中心です。
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●バスターミナル new!
アウシュビッツ博物館行きのバスを探します。
バスの数が多すぎて見つけるのに苦労しました。
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●バス乗車 new!
東洋人らしき人は誰もいなかったですね。
運転手さんから直接チケットを購入しました。
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●車窓1 new!
市街地を抜け・・・
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●車窓2 new!
田園風景に移り変わり。
なんかポーランドって感じw
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●車窓3 new!
列車待ちで何十分も停車したり。
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●車窓4 new!
アウシュビッツ(ポーランド名オシフェンチム)に近づいてまいりました。いい天気であったかくて、寝まくりの道中でした。
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●博物館到着 new!
さすがに大型バスで混雑してます。
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●乗ってきたバス new!
見かけは古臭いですな。
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●アウシュビッツ博物館 new!
事前に依頼していた唯一の日本人ガイド中谷さんと待ち合わせて、博物館や収容所を案内してもらいます。
⇒中谷さんについてはこちら。
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●入り口 new!
なぜか博物館はすっとばして、収容所入り口へ直接案内されました。
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●収容所ゲート new!
有名な場所ですね。「働けば自由になれる」と書いてありますが、当然本当なわけではありません。日々十数時間の過酷な労働で文字通り死ぬまで働かせ続けられたわけです。
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●高圧電線 new!
男女別や人種別に区切られた区画や、外周は高圧電流の有刺鉄線と監視塔で外界と隔絶されていました。
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●建物 new!
一見綺麗に見えますが、それはもともとがポーランド軍の兵舎だったからです。
それに加え、収容者の手によって増築が重ねられました。これが特に過酷で、重い建築資材を肩に担ぎ、硬い木靴でほとんど走りながら運搬させ続けられたりするそうです。数ヶ月で亡くなることがほとんどでした。
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●見学者 new!
色々な国の見学者がガイドから説明を受けてる姿をたくさんみました。日本人はいませんでしたが。やはり多いのはドイツ人だそうで、加害者国としてそういった教育には力を入れているようです。日本の左巻きさんとは違って自虐史観を植えつけるためではありません。あくまで前向きな教育です。
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●もともと new!
ポーランド人の政治犯を一時的に収容するために作られたアウシュビッツが、「絶滅収容所」と変貌し、最大2万人近い人々が収容されるようになります。そして、少なくとも100万人以上がここで虐殺されたのです。
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●点呼 new!
一日の強制労働の後に行われる点呼で整列させられる収容者の様子。整列できないものは病院送りにされ注射で殺されるか、ガス室送りにされるか、どちらにしろ待っているのは死のみでした。
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●街路樹 new!
強制労働の一環で収容者が植えたものだそうです。終戦時には苗木だったものも60年以上の歳月でここまで大きくなりました。
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●死の壁 new!
SSに抵抗した収容者を銃殺するための場所です。
窓が目隠しされているのは収容者に見られないようにするためです。銃には消音機も装着されていたそうです。右側の11号棟の地下には独房もあります。⇒参考
毒ガス(チクロンB)の実験室もあり、ここでの実験が毒ガスによる大量虐殺へつながって行きます。
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