ポーランド・ドイツ旅行
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2006/10/06〜2006/10/13
ポーランド:クラクフ歴史地区・アウシュビッツ強制収容所
ドイツ:フランクフルト観光・ニュルブルクリンクサーキット

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●銃殺 new!
即決の裁判で死刑宣告された収容者は裸にされ、ここで銃殺されました。犠牲者はここだけでも3000人とも1万人とも言われています。
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●顕花 new!
勇敢にも抵抗した人々に向けられた顕花やろうそくの火が絶えることはありません。
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●収容棟 new!
それぞれの収容棟内にはたくさんの展示物があります。
有名なのは収容者から奪った靴・頭髪・鞄・靴墨から歯ブラシ、眼鏡まで、当時のまま山のように積まれています。
おぞましい数です。本当に。⇒参考
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●厨房 new!
奥に見える煙突のある建物が収容者用の厨房のはずです。
最低限の食事で労働させるため、カロリー計算されていたそうです。とはいえ、当然その食事は厳しいものでした。⇒参考
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●首吊り台 new!
レールを組み立てただけの簡素なものですが、ここで大勢の収容者が絞首刑にされています。
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●絞首刑 new!
の様子や被害者の写真。
脱走者などを見せしめのため、ここでも日々虐殺が行われていました。
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●立入り禁止区域 new!
を示す有刺鉄線と看板。
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●そして new!
監視塔。みつかれば即銃殺です。
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●今では new!
自由に通ることのできる有刺鉄線で区切られたこの場所ですが、当時は高圧電流と監視員で厳重に管理されていました。
平和な時代に生まれたことに感謝する瞬間です。
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●有刺鉄線の外 new!
SSの監理棟もしくは司令官棟とおもわれます。
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●絞首刑台 new!
初代所長ルドルフ・ヘス(ナチス副総統ではない方)が戦後、裁判の後絞首刑にされた場所です。
自らが悪行を重ねた場所で死ぬのはまさに自業自得です。犠牲者の霊に永遠にいたぶられてください。⇒参考
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●ガス室 new!
第一クレマトリウム(再建)です。クレマトリウムとはガス室と焼却炉があった場所です。裸にされた収容者を詰め込んだ後、毒ガスチクロンBを屋根から投入され、それが気化することにより数十分かけてじわじわと殺して行くのです。そして併設された焼却炉で日々大量の死体を処分して行くわけです。恐ろしいのは一連の行為がシステム化され囚人自身の手で流れ作業で行われることです。⇒参考
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●第二収容所 new!
ビルケナウ収容所へ無料のシャトルバスで移動します。
先ほどのアウシュビッツが第一収容所と呼ばれるのに対し、このビルケナウはアウシュビッツ第二収容所と呼ばれます。第3収容所もありましたが、現存していません。写真は収容所入り口からオシフェンチム方向を向いています。
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●監視塔 new!
ビルケナウ収容所の入り口に当たります。映画「シンドラーのリスト」で有名な「死の門」がある場所です。オシフェンチム駅方面からの引込み線が収容所内に続いています。
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●入り口をくぐると new!
広大な収容所の敷地が広がっています。第一収容所の比ではありません。上の監視塔に上ってぎりぎり全てが見渡せるような状態です。
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●降車場 new!
貨車でヨーロッパ各地から輸送されてきた収容者がここで身一つで降ろされ、所持物は全て奪われます。移住のためと聞いて連れてこられ、ここで降ろされて初めて騙されたと気づくわけです。
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●引込み線と煙突 new!
奥に見えるレンガ造りの煙突は、当時そこに木製バラックがあったことを示します。戦後、暖を取るために燃料にされてしまったそうです。
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●死の門 new!
「この門をくぐるとお前たちの出口は煙突だけだ」と言われた死の門です。北はノルウェー、西はフランス・オランダ、南はイタリア・ギリシャ、そして東は旧ソ連など20ヶ国以上から強制連行が行われました。
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●煙突 new!
広大な敷地にすごい数の煙突が見えます。これがすべてバラック跡でそこには大勢の人が収容されていました。その数は現在でも解明されていないそうです。
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●レンガ製バラック new!
引込み線をはさんで、木製バラック跡の反対側の敷地にはレンガで造られたバラックが大量に現存しています。当時、このあたりは湿地帯だったため、衛生状態は非常に悪かったようです。その後、収容者の強制労働によって排水溝が作られました。
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