●B−T区域のバラック跡
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収容人数が増えてくるとレンガ造りでは追いつかないので、木製のバラックに変わっていきます。木材は戦後 燃料用に周囲の住民などに使用されたため、レンガ製の暖炉跡だけが残っています。現在では数棟だけ木製バラックも復元されていますが、9割以上はこういった状態です。
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●有刺鉄線
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B−Tb区画、B−Ta区画と戻ってきて、外周を取り巻く有刺鉄線の間に作られた出入り口から外に出ました。ただの通路となった今の時代と、生死を分ける境界だった当時と、時代の違いを痛感します。
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●再び
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「死の門」に戻ってきました。中谷さんのガイドはここで終わり。午後からツアー客のガイドがあるそうで、足早にアウシュビッツへ自分の車で戻られました。ちなみに今日だけに限らず、こうやってガイドさんに案内してもらうと時間の関係で、省略する場所も多く、きっちり隅から隅まで見たい人は、あえてガイドを頼まずまる1日かけて見学することをオススメします。私も機会があれば、次回はそうしたいと思ってます。
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●オシフェンチム方向
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「死の門」から続く線路はオシフェンチム駅へと続いています。オシフェンチムは鉄道の便がよく、ヨーロッパ各地から鉄道で収容者を輸送するのに適していたのもこの地に収容所が作られた要因のひとつだそうです。ちなみにアウシュビッツはポーランド占領後にナチスドイツがつけた地名で、もともとはオシフェンチムという名です。ビルケナウも同様にポーランドではブジェジンカという地名です。
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