鹿児島旅行
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2008/03/19〜2008/03/23
門司〜北九州〜阿蘇山
知覧:富屋食堂・知覧特攻平和会館・富屋旅館
鹿児島:鶴丸城跡・石橋記念公園・桜島
鹿屋:鹿屋航空基地史料館


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●練習機(T-3)
初等練習機として航空自衛隊防府北基地(山口県)で活躍していたが、H17年に用途廃止され、知覧町が借り受けたもの。
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●特攻像「とこしえに」
知覧護国神社境内にあります。
碑文
「特攻機は、ついに帰ってきませんでした。国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。特攻像「とこしえに」は全国の心ある人々によって建てられました。み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝりりしい姿お永久に伝えたい心をこめて。あゝ開聞の南に消えた勇士よ」
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●知覧教育隊門柱 new!
特攻の出撃飛行場として有名になってしまった知覧飛行場ですが、もともとは陸軍飛行学校知覧教育隊として、厳しい訓練のもと、数多の飛行機操縦者が巣立った場所でした。
その後、昭和20年にもなると戦局の悪化、沖縄の最前線に近いこともあって特攻基地へと変化していきました。
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●由来
「この門柱は、昭和十六年十二月に開校された、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所(のちに教育隊となった)の正門です。
終戦後昭和二十六年、旧知覧中学校の正門として使用されていたが、昭和五十六年統合により閉校になったのでここに移設復元したものです。」
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●第四〇教育飛行隊 門柱
学徒出身の特別操縦見習士官が操縦教育うけた第四〇教育飛行隊の門柱(おそらくこちらも移設したもの)です。
一度各地に転属された見習士官も再びこの知覧に戻り振武隊として沖縄へ出撃することになる。
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●特攻の母
碑文
「特攻の母 鳥浜とめ
散るために 咲いてくれた桜花 ちるほど ものゝ 見ごとなりけり」
様々な史料を見た後に読むと、その意味の重さも少し分かるような気がします。
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●写真
「知覧特攻基地を偲ぶ一コマ」として、資料館の中にも展示してあった写真がいくつか見ることができます。
知覧護国神社境内。
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●出撃
「今、まさに出撃する特攻機
今生の別れに力一杯手をふる戦友」
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●別れ
「いよいよ出撃する特攻隊員と地元の人たちとの別れの光景。隊員たちのまなざしは慈愛に満ちている。幼子をおんぶした主婦も子供も今生の別れの真剣な姿である。」
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●出撃前の乾杯
「出撃前の乾杯、写真で見ると第53振武隊員らしい。53振武隊の突入は20年5月18日であったから、その頃と思われる。」
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●見送り
「八重桜の枝を振って特攻機を見送る知覧高女の女学生たち。隼戦闘機胴体下には250キロ爆弾が装着されている。機上で敬礼している隊員は穴沢利夫といわれている。昭和20年4月12日であった。」
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●記念写真
「出撃前の記念写真。死を目前にした人たちのその笑顔には、達観した美しさがある。」
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●知覧護国神社境内
特攻資料館のそばにあります。
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●アリラン
「アリランの 歌声とほく 母の国に 念ひ残して 散りし花花」
朝鮮人でありながら特攻隊員として出撃した人もいました。
鳥浜トメさんとのエピソードとしても、出撃前夜に富屋食堂でアリランを歌ったという話が残っています。
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●昼食
パンとお茶の館「茶楽里(さらり)」パスタランチ680円。
平和記念館の駐車場内にありました。
たまたま入ったお店でしたが、パスタもパンも非常においしかった。なにより周りの店より安いw
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●食後は
本日の目的地、特攻平和会館へ。
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●知覧特攻平和会館
さて何時間で出てこれるでしょうか。。。
資料館の類に入ってしまうと、見入ってなかなか出てこれない人なので(汗
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●三角兵舎
資料館(2時前に入って閉館ぎりぎり5時までいましたw)の後は、側にある三角兵舎(復元)を見学。
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●説明書き
特攻隊員の宿舎だった三角兵舎は、偽装のため松林の中に半地下の状態で作られています。
全国各地から集められた隊員たちは、2・3日後には出撃して往ったようです。
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●兵舎内
右側に寝床、左側には写真や特攻機の残骸が展示されています。
彼らは何を考えながらここで夜をすごしたのだろう。
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